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なんと良き古都、奈良。 ~ 飛鳥寺 & 飛鳥大仏 ~

明日香のこの地に、座り続けて1400年。

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棚田の彼岸花を満喫した後、せっかくなので 『飛鳥寺』 にも寄って来ました (^^)





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『飛鳥寺』 は、蘇我馬子が596(推古天皇4)年に建立した、日本初の本格的寺院であります。
創建時は 『法興寺』 と呼ばれ、平城京遷都に伴い、新都へ移転して 『元興寺』 (現 奈良市の元興寺)となりましたが、旧寺であるこちらは 『本元興寺』 と名を変えて、本尊とともにこの地にあり続けました。


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正式な寺名は、『案居院 (あんごいん)』 。
焼失などで寺域は縮小し、現在は本堂と観音堂、鐘楼があるばかりの小寺であります。

江戸時代に建造された現在の本堂 ▼ は、かつての金堂の跡地に建つということが調査で判明し、本尊が創建以来の場所を動いていないという証明になりました。


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本尊である釈迦如来坐像は、『飛鳥大仏』 とも呼ばれ、日本で最古の 作者と製作された年代のわかる仏像であります。
法隆寺の本尊と同じ 『鞍作止利 (くらつくりのとり)』 の作で、重要文化財。

像高は2.27メートルで、当時 銅15トン、黄金30キログラムを用いて造られたのだそう。
東大寺の大仏を知る現代の我々の目にはそう大きくは映りませんが、当時の人はその大きさと立派さにさぞ驚いたことでしょう。
大仏を作ったものの大きすぎてお堂に入らなかったが、作者の止利仏師は、扉を壊すことなく見事にお堂に納めて賞賛を得たという逸話が残っているほどであります。


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鎌倉時代の火災で金堂は消失しますが、全身が銅製のこの大仏様は損傷を受けながらも焼け残ります。
その後も長い間、覆うもののない屋外で風雨にさらされ、頭の螺髪(らほつ)が剥がれ落ちるなど満身創痍。
もともとは金色であったそうですが、補修もあまり上手くなくて、今はつぎはぎだらけのお姿になられています。

脇侍には、『聖徳太子孝養像』 (木造 室町時代) と 『阿弥陀如来坐像』 (木造 藤原時代) が安置されています。


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この時代の仏像は、他に法隆寺くらいにしか残っていない大変貴重なもののはずです。
にもかかわらず割とオープンな感じで置かれていて、しかもこれまた珍しいことに写真も撮り放題!! (☆0☆)
良い意味での田舎のユルさがありがたかったですよ~ (^^)



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本堂を出たら、裏口を抜けて 『入鹿の首塚』 へ。


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ここは蘇我氏のお寺であるだけに、古代皇室事件簿の現場でもあります。
中大兄皇子 と 中臣鎌足(のちの藤原鎌足) が 蹴鞠(けまり) の会で出会い、打倒曽我氏をもくろんだのも実はここ。
日本最古のクーデターである 『大化改新』 であります。
皇子は蘇我入鹿をだまくらかして板蓋宮に呼びつけ、蘇我の一族ではあるが自分の手のうちにあった石川麻呂にインチキの書状を読み上げさせて、それに気を取られている入鹿を惨殺したというのがこの事件のあらまし。
これにより、蘇我一族は政治の場から一掃され、藤原の世へと続きます。


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板蓋宮で暗殺された入鹿の首は、数百メートル離れたここまで飛んできたといいます。
後世には、京都から東京まで首が飛んできた平将門もいるほどですから、入鹿のように恨みを残して亡くなった人物なら、このくらいの距離を首が飛ぶのは、当時としては珍しいことではなかったのかも知れませんねぇ・・・!? (^^;)


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by yosshy_z | 2015-10-22 23:09 | 奈良アンソロジー